コーヒー屋に生まれて。正確には焙煎屋です、が。(1)
- 豆卸の家に生まれた私の話。
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徳山コーヒーボーイ代表の河内山です。メールマガジンの新しいシリーズ、 「コーヒー屋に生まれて。正確には焙煎屋です、が。」が始まります。 今回はコーヒー豆卸(まめおろし)の家に生まれた私の話をしたいと思います。 そう今から50年ほど前。私が物心ついた頃、既にわが家はコーヒー豆の焙煎屋を営んでいました。 朝は早く、朝餉(あさげ)には家の中も住居下の店舗も既にワサワサとしていて その店内を通って学校に通うという、商店で育った子たち誰もが持つ原風景が我が家にもありました。 当時扱っていた商品は自家焙煎豆の他、レストランやカフェで使われる商材など。 焼き立ての焙煎豆の香りに、生豆(焙煎前の豆)やドンゴロス(豆を入れる袋)などの匂いも相まって 決して皆さんが思うような(ネスカフェのCMのような)爽やかな朝の薫りというものではありませんが、 私にとってはHOMEそのものの空気がありました。 当時通っていた小学校は、商店街に住む子が半分、お勤めの親を持つ山手に住む子が半分。 日曜には家族でマイカーでお出かけする「山の手」の子たちを羨ましく思っていた記憶があります。 一方商店の子には「それなりの誇り」のようなものがあって、それは玄関に掲げてある表札とは別に 自分の家には目には見えない「のれん」が確かに掲げられている事を実感していた事です。 とりわけ我が家は、当時としても「洋風」や「舶来」のものを扱っていたせいもあり、 ちょっと違う感じで一目置かれていたように思います。 美術の時間などには、BRAZIL やMOCHAなど自分でもよく分からないツヅリをレタリングして、 先生や同級生に感心された記憶があります。 当時1日の中で一番コーヒーが飲まれたのは朝の通勤前、または仕事前のひと時でした。 日本全体が成長していた時代、朝コーヒーを1杯飲んで仕事に行く人々の顔にエネルギーが漲っていました。 もちろんカフェ(というより喫茶店)も街に次々と立ち並びました。日本のコーヒー文化がそんな時代に育まれた事は間違いありません。 1980年代に入り大学進学のため、上京した私は縁あって東京駅八重洲口地下にあるコーヒーパーラーで働く機会を得ました。 簡単な軽食とコーヒーでひとときを過ごすサラリーマンの活気を今でもよく覚えています。 コーヒーを入れていた器具はアーンという一度に大量に抽出できる一般的なものです。まだ一杯をゆっくり楽しむという時代ではありませんが、 1日が始まるためにはコーヒーは欠かせない存在で、そしてカフェに集う同志からの刺激が日々の大きな活力になっていた事は まだ学生の私にも十分感じる事ができました。 さて、このシリーズの題目に戻りましょう。 「コーヒー屋に生まれて。正確には焙煎屋です、が。」この中には私なりの一つのメッセージがあります。 それはコーヒー屋に生まれたとして、もしコーヒーを提供するカフェやレストラン側に生まれていたら、 きっとコーヒーボーイも私も、今のような形になっていなかったのでは?という思いです。 そんな話を第2回にできればと思います。私に大きな影響を与えたスターバックスとの出会いから始まります。
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