コーヒー屋に生まれて。正確には焙煎屋です、が。(2)
- PH通り店の誕生の話。
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徳山コーヒーボーイ代表の河内山です。 「コーヒー屋に生まれて。正確には焙煎屋です、が。」の第2回です。 今回はCOFFEEBOYのカフェ1号店、PH通り店の誕生についてお話します。 前回(>>第1回はこちら)、私がコーヒー屋に生まれながらも、もしコーヒー豆卸の家ではなく喫茶を提供する家に生まれていたら、、、 きっとコーヒーボーイは、今のような形になっていなかったのでは?という事をお伝えしたと思います。 私が物心ついた頃、既にハンドドリップでコーヒーを提供する「ザ・喫茶店」は町中にありました。 そして、それが私たちの家計を支えてくれた事は確かです。 カウンターの中には、決まって気難しく神経質なマスターがいて、 これまたお決まりの深煎りコーヒーが薄暗い店内で提供されました。 そんな定型ばかりを見て育った私が、コーヒーに未来を感じる事ができなかった事は事実でした。 一方(前回お話した)、コーヒーが人々を活性し幸せにする現場を目撃できた八重洲口のコーヒースタンド。 しかし提供されるコーヒーについては、あまり評価されるものではありませんでした。 アーンという抽出機を使って大量に淹れられたコーヒーは一定の時間になると廃棄されます。 豆もその程度のクオリティだったに違いありません。 こんなジレンマの中、コーヒー豆卸という父親の仕事を手伝っている時に出会ったのが シアトルからやって来たスターバックスでした。当時はまだ神戸や東京など数店しかない時代。 まだ目新しいものが色々排出される時代にあって、ひと際斬新な存在でした。 スターバックスの店内で最初に感じたのは、 「コーヒーはここまで自由になれるのだ!」という事です。 チョコレートを浮かせても、キャラメルを添えても、 生クリームで模様を描いても、熱々を紙コップで歩きながら飲んでも。。。 何をしてもゆるされるfreedomを感じました。 そしてスターバックスに背中を押さるようにオープしたのが、 COFFEEBOY 1号店PH通り店です。焙煎工場を始めてすでに30年が経っていました。 お店に入ると、まずはコーヒーの銘柄を決めていただいて、料金を支払っていただきます。 「先に金取るんか。」「はい。」 「水出んのか。」「はい。」 「ゆっくりできるソファないんか。」「ありません。」 「おタバコは外で。」「コーヒーだけをお楽しみください。」 私にとって理想のスタイルは、当時のお客さまにはとても窮屈な場所だったかもしれません。 それでも県内外からコーヒー好きが集うようになり、スタイルが浸透するには、そう時間は掛かりませんでした。 その後も、10年聞かれ続ける「ケーキないの。」を除いては。 ここからは皆さんの知っている通り、スターバックスのムーブメントが一段落した後、ブルーボトルコーヒーが登場しました。 ブルーボトルはサードウエーブと呼ばれ、スターバックスはセカンドウェーブと呼ばれます。 サードウィーブは、それまで途上国だったコーヒー産国が経済発展をする過程で、小さな農園へ注目が集まることから生まれました。 また、セカンドウィーブは80年代の世界ストリート化現象の影響を色濃く受けています。 コーヒーはその時代時代の最も大きなムーブメントに合わせる様に、その姿を変えて来ました。 さてこれからのコーヒー、どのような形になるのでしょう。皆さん、考えてみてください。
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